”レニア”とは、武谷ピニロピ理事長の子供のころの愛称です。


理事長 武谷 ピニロピ

『人間最大の不幸は病気です。空にロケットが飛び、陸に自動車が充満し、生産は、コンピューターが計算する現代科学。 科学の真の目的は人類に幸福を齎す。その追求であった筈です。 いまやその科学が目的に反し人類にストレス、幾多の公害等々私達の生存に対し脅威を与えるようになりました。

いくら電化した文化生活があり、レジャー産業が発達しても健康を害したならば、本人は無論、家族や周囲の人々は経済的にも社会的にも色々な形で損害や不幸を受けなければなりません。
医学は人間の幸福を護る為、日々進歩してきました。 医学の実践者たる医事従事者は医師を先頭に世の中の不幸の源である病気と斗う第一線の戦士です。

武谷病院は医業の本質的使命感を自覚し、高い誇りを持ち、それぞれの分野で自己の能力を発揮して 地域社会の人々の幸福を護る戦士の結合体です。』
(1982年発行のパンフレットから)
ミッション(使命)
良質で信頼性の高い総合的母子医療と、プライマリケアから高度医療への架け橋となる二次医療サービスを提供する総合病院として、地域の人々の健康で文化的な生活に寄与する。
経営の基本方針
  1. 地域における中核の病院としての役割を自覚し、実践します。
  2. 人間の医療を重んじ、患者様の権利を何よりも大切にします。
  3. 常に患者様の立場にたち、患者様が十分に満足して頂けるサービスの提供に努めます。
  4. 患者様に満足して頂けるサービスを提供する為には、職員が仕事に誇りを持ち、満足できなければならないと考え職員の働く環境と処遇を重視します。
  5. 医療と経営の分離と協力のもと、上記の目標達成にあたります。
行動理念
全ての職員は、一人一人が自らの役割を自覚し、常に患者様の立場にたち安心して、快適にかかれる病院であるために努力し続けます。
第一目標
日本一の接遇サービスを提供する病院となる。
医療事故ゼロの徹底を行なう。
◆役 員
理 事 長 武谷 ピニロピ
常務理事 武谷 典子(※副理事長、事務局長を兼務)
理      事
島田 信敬(きよせの森総合病院院長)
理      事 根岸 広明(ウイメンズクリニック大泉学園院長)
理      事 風間 広仁(きよせの森 風間内科クリニック院長)
理      事 渡邉 洋(元ひまわりクリニック院長)
理      事 船曳 均(きよせの森総合病院院長補佐)
理      事 太田 恵昌 (東京早稲田ライオンズクラブ)
理      事 角田 信幸 (税理士、ITコーディネータ協会認定 ITコーディネーター)
監      事 小林 真
平成19年5月現在


開院当初の診療所

武谷診療所を支えるスタッフ

診察中の理事長

ロシアの病院を模した円形棟の建物
全科診療で混雑する待合ロビー
昭和36年頃 病院前で
昭和50年頃 現在の病棟完成
ひまわりクリニックオープン
ひまわりウイメンズクリニックオープン
2・3階入れ替え時にできたカフェテラス
分娩件数を年々更新
不妊専門ウイメンズ・クリニック大泉学園オープン
ウイメンズクリニック大泉学園のロビー。
北欧のイメージでつくられた
生活習慣病専門
風間内科クリニックオープン
アジアンティストに生まれ変わった
3階病棟
1950年4月 東京都北多摩郡清瀬村上清戸565番に診療所開設。院長、職員3名。

1954年10月 内科・小児科担当医1名と看護婦1名を増員し、総勢8名体制。

一見「しもた屋」風の診療所は既に手狭になっていたが、目を離せない患者は畳敷きの当直室に寝かせて「入院」扱い。薬品も不足しがちだった時代である。毎朝、医師自ら大根おろしをすっては、ビタミンC源として入院患者に与えた。

1956年 4月 外科、整形外科、皮膚科を担当する医師1名と新たな事務員1名を採用。9床のベッドを置いた入院棟を増設。

一旦出血すると血液が凝固しない血友病の子供の扁桃腺手術をしたのもこの頃。なかなか血が止まらない扁桃腺を、当直医が一晩中手で抑えて看病。ついにこの子を助けることができた。「ナイチンゲール精神、健在なり」を立証したエピソードである。

1957年 4月 木造2階建ての新入院棟を増設。1階に10床のベッドを入れ、2階を看護婦宿舎とした。それに伴って看護婦5名新規採用。

「カナマイシン」「ペニシリン」「ストレプトマイシン」など、画期的な新薬が次々に誕生したのもこの年である。「少しでも患者を楽にしてあげたい」と願う院長は、効果があると判断すれば、保険適応外の患者にも積極的に投与。結局保険金がおりず、その分は診療所の「持出し」となった。この持出し分が余りにも多いので、事務の人たちは頭を悩ませたそうである。


1959年暮れ 7床のベッドを追加。この年の春、3名の看護婦を採用した診療所は18名体制となり、トータルで26床のベッドをもつことになった。すでに診療所としての枠を越え、実質上病棟の規模を確立。

1960年 春 診療所は創立10周年を迎えた。

これを機に、新病棟を残して古い建物を全面的に撤去し、新築工事に着手。新しい診療所は、円形棟を中心に、放射状に病棟が広がるロシアの病院を模した造りとした。この年に、産・婦人科を新設。人員も30名となり全診療科が揃った。


1965年 春 清瀬村は清瀬町に昇格。この年、48名体制・ベッド数26床の診療所も正式に病院に格上げされた。

1967年 1月 手術室と20床のベッドを備えた鉄筋コンクリート造2階建の新病棟を完成。スタッフは68名となった。

1974年 2月 新病棟建設のために、清瀬名物ともなっていた円形病棟の解体作業開始。このときの職員総数は84名。仮設診療所で診察を続けた。

1975年 4月 最新診療設備・機器を導入した鉄筋コンクリート造3階建・延床面積3,027平米の現病棟本館が完成。

武谷病院は1967年竣工の旧館を合わせると延床面積3,441平米、ベッド数108床、職員数107名の病院に成長した。その後病床は102となった。


1980年10月 武谷ピニロピ院長が清瀬市および東久留米市より医療関係功労者として表彰される。

1992年11月 全国に先駆け医薬分業実施。

1993年12月 法人となり、病院名を医療法人社団レニア会 武谷病院に変更。医事と病院受付を改装。

1995年 9月 耳鼻咽喉科を「武谷ひまわりクリニック耳鼻咽喉科」として移設。

1997年 7月 女性専門外来「武谷ひまわりウイメンズクリニック」開設。

1999年 2月 二階病棟改修、カフェテリア、X線待合室新設、シャワー室新設、中央器材室改修。

1999年12月 医療法人社団レニア会 武谷ピニロピ記念 「きよせの森総合病院」として運営開始。

2000年 4月 創設50周年を迎える。

2000年 9月 病院外装改修

2000年11月 創立50周年記念式典を行う。

2001年 9月 二階・三階機能入れ替え工事、三階改装工事を行う。

2002年 8月 売店「ミルクホール」移転改装

2002年 9月 産科外来改装

2003年 2月 子育て支援の保育室「ミルクハウス」設置

2004年 3月 外来トイレ改装

2004年 8月 リフレクソロジー開始

2004年12月 外来内装改修。
年間分娩件数 初の1,300件突破。

2005年 3月 三階病棟南側トイレ新設

2005年11月 不妊治療専門クリニック「ウイメンズ・クリニック 大泉学園」開設。

2005年12月 創立55周年記念式典を行う。

2006年 4月 分娩室前にトイレ新設。手術室内ドアを自動化

2006年 5月 病院の耐震診断を行う。震度6程度の地震にも倒壊しないとの診断結果。

2006年 6月 病院外装改修

2006年11月 渡邉院長の定年に伴い、耳鼻咽喉科「ひまわりクリニック」を閉科

2006年12月 年間分娩件数 1,500件突破(1,505件)

2007年 1月 糖尿病科/内分泌代謝科を生活習慣病専門クリニック「きよせの森 風間内科クリニック」として移設

2007年 8月 三階病棟改修。病室や廊下、エレベーターホールなど三階病棟をアジアンテイストに一新。また、特別室「プルメリアルーム」を新設。 合わせて、病院エントランスも改装。

2008年 4月 ベビーマッサージ開始

 
 
 
 
 
医療法人社団レニア会 きよせの森総合病院 きよせの森 風間内科クリニック 武谷ひまわりウイメンズクリニック
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